高校では、はじめ理系志望でした。2年生の時にデザインに興味を持って、美術の先生に相談したんです。そしたら、「美大に進学した先輩がいる。いまちょうど夏休みで帰省しているようだから、訪ねて話を聞いてみなさい」と言われました。
そこで、練習した鉛筆デッサン2・3枚を持って先輩の家に行ったんです。それが根之木(現・運営委員)さんでした。
デッサンを見せたら、「これ(モチーフ)とこれの間には何もないが、 空気があるはずだ」って言うんです。「このコップは空だけど、空気が 入っているはずだ」とか。ふーん、そういうものなのか、と感心しました。(笑)
当時の津久見高校は美大進学で突出した成績を上げていたわけでもないと思うのですが、先生とは根之木さんや後輩たちも含め、今でも不思議にお付き合いが続いています。
今の若い人は何でもパソコン上で描いてしまうし、私自身も図面はパソコンで描いてますけど、鉛筆というか手描きの感覚は忘れないようにしたいと思います。
仕事で関わった美容学校に今も美術の指導に行ってるんですけど、お客さんの要望するイメージを美容師さんがササッと描いて「こんな感じですか?」と確かめられたら、便利だし信頼も得られると思うんですよ。
大学では工業デザインを勉強して、家具メーカーに就職しました。支店・営業所勤務のための転勤とか都会暮らしも経験しました。でも自分は長男だし、いずれは故郷に帰らなければならないと思っていました。
工業製品というのは、例えば家電品とか自動車とか、内部に機械・機構があって、それを覆うカバーがある。デザイナーは主としてカバーの部分を美しく装うために、心血を注いでいるわけです。でも、それで良いのか、自分が一生やりたかった仕事はそういうことなのか、と考え始めました。 |